*読書日記は、ネタバレを気にせずに書いてます。*
この記事を読んで買った本。
硫黄島といえば、「第二次世界大戦で戦場となった場所」くらいの知識しかなかった。読んで初めて、島の歴史や、そこで暮す人々の生活を知ることができ、興味深かった。
国策によって入植し、プランテーションで搾取される小作人たちの生活や、戦争中の徴用、偽徴用事件、戦後の帰島運動などが、豊富な資料や、元島民からの聞き取りなどを交えて書かれていて、読み応えがあった。
硫黄列島の小作人は、一部自給自足用に栽培を認められた部分を除いて自由な作付を許されておらず、拓殖会社が指定したサトウキビやコカなどの商品作物の栽培を指示されていた。(中略)しかも、硫黄列島では、収穫物の売り上げのうち小作人に支払われる報酬や、会社関連の労働に従事した際に支払われる報酬が、会社の指定店舗でしか使用できない金券で支給されていた。
と書かれているように、その搾取の度合いは酷いものだった。しかし、これだけ厳しい搾取を受けながら、筆者が二十人以上の元島民にインタビューしたかぎりでは「基本的な衣食住に困窮するケースは少なかったようだ」。南国で周囲が海に面しているという環境にも依るのだろう。(苦しいばかりの生活ではなかったのだな)となんとなく安心する。
自宅の床下で豚を飼っていた、家の近くの畑からサツマイモを取ってきて噴火口の吹き出し口に入れてふかして食べた、農作物が育たない山にはパイナップルを植えた、サトウキビで酒を作っていたなどなど、当時の情景が生き生きと描かれている。
もっとも、インタビューの相手方は当時子供だった人達だし、戦中戦後の苦難の後では、それ以前の日々が美化されている面もあるだろう。後半の戦中戦後の様子を読むと、暗い気持ちになる。
日本軍大本営は、本土の南方離島群を地上戦またはその兵站として扱うことで、本土決戦までの時間を稼ぐ方針だった。その結果、大東諸島、八重山諸島、宮古諸島、奄美諸島、大隅諸島、小笠原群島、硫黄列島、伊豆諸島などでは、民間人住民が順次本土方面へ(一部は他の離島や台湾などへ)強制疎開されていった。ただし、多くの島で十六歳から五十九歳までの男性は、駐留日本軍に徴用され、島に残留させられた。
最後まで残留させられた十六人の住民は、地上戦の間に十一人が死に追い込まれた。疎開した島民は、それまでに築き上げてきた生活基盤を失い、本土で苦しい生活を送ることになる。強制疎開後の生活の状況を見ると「下層・貧困層に属する世帯が、わずか10年間のうちに約7%から85%に激増した」とある。
硫黄列島民のなかには、北関東などに開拓農民として入植した人々もいたが、寒冷地で自給用の農作物さえ十分に生産できなかったそうだ。先に入植していた八丈島の開拓団が自殺者が出るほど困窮し、全員が引き上げてしまった土地だというから酷い話だ。大都市圏に滞留する引揚者らへの治安対策を主眼とした政策で、開拓にかかわるサポート体制などなきに等しかったのだ。
結局、未だに元島民は帰島を許されないまま年老い、亡くなっていっている。話が飛躍するが、今回のコロナウィルスの騒動を見ていても、いつの時代も、政府は末端の国民のことなど考えてはくれないのだなと思う。
*関連記事*
「小笠原返還50年 終わらない硫黄島の戦後」(時論公論) | 時論公論 | 解説アーカイブス | NHK 解説委員室
東京新聞:激戦の島 帰れぬ遺骨 硫黄島 1万1000人分残る:伝言 あの日から70年:特集・連載(TOKYO Web)(今はリンク切れになってます)
以前読んだ小集落史。この開拓団の方々も、荒地の開墾に苦労している。昭和五十六年に聞き手が訪問した時点で、行政への再三の要望にもかかわらず電気もひかれていない。(ディーゼルによる自家発電設備はあり)
明治時代以前、小笠原群島には、世界各地にルーツをもつ先住民が住んでいたらしい。捕鯨船からの脱走者、病気や怪我を理由に船を降りた人、船が遭難した漂流者、先住民から貨幣や女性を奪う略奪者など。
*追記*
ネットで見つけた「日本遺族会の変遷ー『日本遺族通信』をとおしてー」という卒論。おもしろいです。下記研究室のサイトで閲覧、ダウンロードできます。戦争つながり?で追記しておきます。
↓この中にあります。