元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

『贅沢貧乏のマリア』/『 エミリ・ディキンスン家のネズミ』〜思ってたのと違った本*読書日記17

少しずつ、未読の蔵書を読んでいる。今週読んだのは『贅沢貧乏のマリア』と『 エミリ・ディキンスン家のネズミ』。全然、何の関連もない本だけど、どちらも「思ってたのと違った」本。むりやり関連づけると「他人の目を通して作家をみる」本。

 

贅沢貧乏のマリア (角川文庫)

贅沢貧乏のマリア (角川文庫)

 

 

昭和62年、安アパートの自室でゴミの山に埋もれて孤高の死を遂げた作家森茉莉。父森鴎外に溺愛された贅沢な少女時代。結婚、渡仏、離婚などを経て自立。54歳で作家となり、独得の耽美な小説世界を発表した後半生の貧乏ぐらし―。「精神の贅沢」を希求し続けた84年の生涯の頑なで豊かな生き方を、人気作家群ようこが憧れとため息をもってたどっていく全く新しいタイプの人物エッセイ。

 

群ようこ森茉莉の伝記を書いた」と勘違いして買ったら、森茉莉に寄せて自分の生活のあれこれを書いたエッセイだった。正直、群ようこに興味がないので、がっかり。また、「憧れとため息をもってたどって」いるエッセイとは思えなかった。礼賛一辺倒なのも気持ち悪いが、淡々とし過ぎというか……読んでいて楽しいエピソードが少ない。そういえば、群ようこの本から遠ざかったのは、他人の描写に後味の悪さを感じることが多かったせいだ。ゴミの山に埋もれて死ぬような婆さん(「孤高の死」なんてもんじゃない)が欠点だらけなのは、いちいちあげつらって書かなくてもわかってる。ファンを自称するわり(よく考えたら自称してるかどうか知らない)に、森茉莉への愛を感じなかった。

 

エミリ・ディキンスン家のネズミ

エミリ・ディキンスン家のネズミ

 

 

学生の頃、エミリ・ディキンスンが好きだった。岸田今日子の一人芝居「アマーストの美女」を見に行ったりした。しかし、今の私は、しっかりした本を読む気力や体力をなくして久しい。この本を知って(こういう絵本っぽいものなら最後まで読めるかも)と買ったのだが……ほのぼのとした挿絵とストーリーは、私がエミリ・ディキンスンに対して持っていたイメージと合わなかった。収録されている詩も、文脈に沿って読むからか、まったく心に響かなかった。

 

www.msz.co.jp

上記サイトにある「この本を澄ませているのは、小春日和のニューイングランドの澄んだ空気です」という長田弘の紹介文にも、(あ〜ハイソでおしゃれですね〜)的な苛立ちを感じる始末。貧乏人の僻み根性が滲み出た感想しか持てなくて、凹んでしまった。

 

 

 この本は、昔読んでおもしろかった。

 

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)

ディキンスン詩集 (海外詩文庫)

 

 これ読んでみようかな。

 

 

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

贅沢貧乏 (講談社文芸文庫―現代日本のエッセイ)

 

 こっちも。