元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

「障害者と健常者」のことをとりとめなく書いてみた。

このブログで時々書いているように、私は自分のことを「健常者」と思っていない。では「障害者」と思っているかというと、そうとも言えない。今の時代に子供だったら「発達障害児」と診断されたかも、くらいは思うけど。

 

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また、自分のことを「健常者」だと確信している人の自信や思い込みがいまいち理解できない。みんな、そんなに支障なくスムーズに社会で生きているんだろうかと不思議だ。

 

私が、こういった思いでいるのは、物心ついた頃から「周囲の人が簡単そうにやってることが自分にはできない」と感じることが多かったから。そして、もう一つ、多様な人に接して生きてきたからだ。それはある程度意識してやってきた。

 

学生の頃は障害児に関わるサークルに所属して定期的に施設を訪問していた。

 

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子供達は可愛いし、いろんな遊びの企画を考えるのも楽しかった。ただ、恐らく障害のために「幼い頃に施設の玄関に捨てられていた子」に出会った時は、なんとも言えない気持ちになった。重複障害を持つ子も多く、慣れないうちは、どう接していいのかとまどった。逆にいうと、接しかたに慣れると、普通に可愛い子供達だった。もちろん、週に一度、短い時間を過ごすだけの関係だから、そう思えたのだろうが。

 

サークルのメンバーやその知り合いにも「障害者」は複数いた。そのうちの一人が大手企業に就職した時は、大学の広報誌にインタビューが載った。「記事見ましたよ」と言うと「ああいうのほんとは苦手なんだけどね」と苦笑いしていた。ことさらに「障害者」として扱われるのは不本意だろうし大変だなと思った。

 

養護学校出身の別の人(身体障害がある)からは、「養護学校の入学試験は自分の名前をローマ字で書きなさい、でさ…なんか書きながら涙が出た。授業も簡単過ぎて、大学に入るために自力で相当勉強したよ」と身の上話を聞いた。養護学校に進めば手厚いケアが受けられるってわけでもないんだなと思った。(30年以上前の一個人の話なので一般化はできないし現在は状況が変わっていると思うが)

 

公務員になってからは行政上「障害者」と区分される人々に多数接したし、プライベートでも、「中途失聴難聴者」に対するボランティアをしていた。「健常者」だった人が、ある日突然「障害者」になるとはどういうことなのか。生まれた時から「障害」を抱える人とはまた違った苦労を知った。

 

出産後、しばらくの空白期間を置いて、再就職した。家族や自分の都合でいろいろな職についた。その中でも様々な「障害」を持った人々と出会ってきた。人と出会い、関係性ができると、相手は「障害者」ではなく、「〇〇さん」という個人となって、「障害」もその特性の一つに過ぎなくなる。特性だけを見れば、その部分において「障害/健常」の差はあるが、それによって全人的に「障害者/健常者」と区分する意味や、その境界をどこに置くのかが、私には分からない。

 

昔、父が、「障害者」は単なる行政用語に過ぎない、と言った。なんらかの行政措置を行う際、対象を確定するために「障害者」「障害等級」といった用語が必要になるだけだ、と。私はこの意見に賛成だ。

 

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障害が個性と受け止められる社会にするにはどうすればよいのか? 私は、幼い頃からインクルーシブ教育(=統合教育と思っていたが違うらしい)を行うことが一番効果があると思う。もちろん、充分な予算を割き、専門的な知識を持った教員やスタッフを揃えた上での話だ。多様な人々がその多様さを尊重される環境で育った子供たち。彼らが大人になれば、障害は個性と受け止められるはずだ。インクルーシブ教育は理想論に過ぎないという声もあるかと思う。しかし、すべての人を包摂する社会を目指すなら、まずは義務教育の段階で、理想を求めて費用と手間をかける価値はあると思う。

 

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自分の子に「障害」があることを受け入れられなくて、病んでしまった親にも何人か出会った。誰もが幼い頃から「障害者」と共に生きる環境にあれば、そして、障害を解消するのは本人や家族の責任ではなく、社会の責任だと教育されていれば、そんな悲劇も減るのではと思う。