元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

近況

ここのところずっと調子が悪いです。プールには一度行ったきり。英語の勉強も再開できていません。日々の家事と仕事で手一杯。それだけで疲れ切ってしまって、時々ふいに涙がこぼれてしまいます。多分、少し鬱気味なんだと思います。季節が悪い。年度末で煩雑な仕事が多くストレスが溜まっているのも原因でしょう。今は大きなミスをしないように注意しながら歯を食いしばって暮らしていくだけです。「とにかく6月まではがんばる」と自分に言い聞かせて過ごしています。別に6月に何かあるわけじゃないけど季節が変われば気持ちも変わるかもしれないし。

  

この頃、はてなで「発達障害」の記事をよく見ます。私は特に診断は受けていませんが、今なら多分、発達障害児といわれる子でした。できることとできないことの差がひどく、よく親や教師をいらだたせていました。集団生活になじめず、低学年時には「緘黙児」と言われていたそうです。小学校の頃に受けたIQテストでは、言語系の問題はすらすら解けたのに図形の問題などはほとんど解けませんでした。具体的な数値は教えてもらえませんでしたが、総合的なIQはかなり高かったそうです。でも、何も良いことはありませんでした。結局、特に何かの才能を開花させることもなく生きてきました。

 

息子が生まれて、どうやら自分に似て偏りのある子だと分かりました。自分の失敗を振り返りながら、少しでも彼がこの世の中でうまくやっていけるように考えながら育ててきたつもりです。自己肯定感がなく何をするにも自信が持てない私にとって子育ては大変でした。大学に入って主治医に成育歴などを話した際「お母さんの接し方はベストだった」と言っていただけて、思わず泣いてしまいました。多分、元気づけようとしておっしゃったのでしょうが、本当にほっとしました。

 

けれど、この頃は(本当にこれでよかったんだろうか)と思ってしまいます。高望みをせず「普通の人」のぽんこつ型として生きてきた私と違って、息子は自分の得意な分野で生きていこうとしています。ようやく復学した大学で、ひたすら専門分野の勉強に励んでいます。そんな彼に「普通の人」としてやっていく方法を教える意味はあったのかなと思ってしまう。あんなに一生懸命考えてやってきたけれど、何の意味もなかったんじゃないかな、息子にとっては時間の無駄だったのかもしれないなと思ってしまう。

 

娘の大学受験も先週で終わりました。まだ第一志望の学校に入れるかはわかりませんが、とりあえず4月から大学に進学することは決定しています。二人の子供が、私のような人間の元で、大きな怪我や病気をせずにここまで育ってくれたのは奇跡です。だから、無意味だったなんて考えずに子供の成長を喜べばいいんだろうな。

 

それでも、どうしようもなく疲れていて気分が晴れません。子供達が小さい頃、小児科の先生から「心が明るい方を向くように育ててあげてください」と言われて以来、努めて明るく振舞ってきましたが、もういい加減終わりにしたいと思ってしまう。冷静に考えたら、そんな四六時中無理して明るくしてたわけではなく、楽しいこともたくさんあったのですが。

 

いまは無理に明るいことを考えるのがきつい状況なので、できるだけ休養をとりながら、うまくいかなかったことを考えず、日々を過ごしていくことに専念します。

 

雪の写真家ベントレー

雪の写真家ベントレー

 

 先日、小学校で読んできた絵本です。雪の美しさに取り憑かれた少年が、雪の結晶の写真家になる話。実在の人物の伝記です。