元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

選挙が終わった

はてな見てたら、選挙関連のエントリーがいろいろ挙がっていておもしろかった。

 

togetter.com

 

投票に行ったことがない人は、どういう手続きで投票するのか知らなくて、億劫なのもあるんじゃないだろうか。「選挙=なんかめんどくさい役所の手続き」という認識で、「時間がかかりそう」「手続きが難しそう」「他人の前で間違ったりもたもたしたら恥ずかしい」と思っているのかも。

 

正解に入れなかった自分を他人に見られるのが怖いんだ。」というコメントにいっぱいスターがついてたけど、誰に投票したかなんて、他人に言うかな? 知り合いから「**さんに投票してね」とお願いされることはあるけど、どの人にも「大変ねえ〜。がんばって!」と返し、選挙後に「今回もありがとう」と言われたら笑顔で「お疲れ様でした」と言うことに決めている。いちいち「私は〇〇さんに投票するので無理です」とか言わない。誰に投票するかは私の自由だし、誰に投票したか話すつもりはない。聞かれたら「ひみつ!」って言ってる。まあそうそう聞かれることもないけど。

 

第十五条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。
○2 すべて公務員は、全体の奉仕者であつて、一部の奉仕者ではない。
○3 公務員の選挙については、成年者による普通選挙を保障する。
○4 すべて選挙における投票の秘密は、これを侵してはならない。選挙人は、その選択に関し公的にも私的にも責任を問はれない。

 

pha.hateblo.jp

あと、選挙って、祭りのときにみんなでだんじり引けば楽しい、みたいな感じで、多くの人と団結して一緒に何かすると高揚感があるとか、集団を組んで他の集団に勝つことを目指すと楽しいとか、そういう原始的な楽しみかたをするものなんだな、ということもわかってきた。見た目が整った人とか体が強くて元気そうな人とかが選ばれやすいのも原始的ぽい。

要は、選挙ってわりと野蛮で雑なゲームなんだな、というのがわかると楽しめるようになってきた。

 

そう、「選挙ってわりと野蛮で雑なゲーム」なのだ。そういや昭和の時代には保徳戦争とかあったっけ。なにか難しくて高尚なもののように思って怖気付いたり敬遠したりするものじゃない。田舎にいると、選挙が自分の生活に直結している人々が見えやすい。日本人は政治活動を嫌うとかいうけど、それって、私のような下っ端労働者、ニート、学生などに限った話で、それ以外の人々は、せっせと政治活動をしてるんじゃなかろうか。近所の人が学校のPTA会長を引き受けた話を聞いた。商売をやっている人だが、奥さんの話だと「商工会から、そろそろあんたもやってみらんねって話があって」だそうだ。へ〜そういうルートがあるんだなあ、ゆくゆくは商工会が支援して市議会議員なのかなあ〜とか思った。

 

anond.hatelabo.jp

 

あれだけの不祥事や失言があり、増税も実施すると言った上で、この程度しか減らなかったのだから、自民党大勝利だなと思う。立憲は、以前のような盛り上がりはなかった。変な候補(私の個人的な感想です)を立てなければもう少し票が入ったのではと思う。

 

選挙は多くの票を獲得できた人が当選する、というシンプルな仕組みだ。当然、組織票を持った候補が強い。というか、力がある組織なら、組織自体から候補者を出すこともできる。下っ端労働者は、その属する組織の指示によって「**候補に投票するように」と言われたりする。でも、それって(いや、別に私の利益にはならない候補なんですけど。むしろ敵。)って場合も多い。「投票の秘密」は憲法で保証されている権利なんで、別にスルーして別の候補に入れても全然かまわない、というか自分の意思で選んだ候補者に投票すればいい。別に言わなきゃバレないんだし。

 

とはいえ、政党の側からいうと、「どこにどれだけいるかわからない票を入れてくれる人」をあてにするのはなかなか難しいものだろう。「草の根民主主義」を標榜する立憲民主党比例区で当選した人々は、ほとんど大きな労働組合出身者だ。やっぱり「組織票」なく当選するのは難しいんだなあ。今回、立憲の候補者の中には、トンデモな人(私の個人的な感想です)が散見された。組織票がないなら、話題性がある人をってことになるんだろうか。でも、地道にちゃんと勉強/活動してる、議員として役に立つ人を掘り起こして行って欲しいもんです。別に立憲の党員じゃないけど。

 

www.grisella.jp

この記事の中でちらっと触れた「あたらしい憲法のはなし」に、政党についての説明が載っている。それが、今の日本の現状とはかけ離れていて不思議な気持ちになる。どうしてこうならなかったのかなあ。政権交代があまりなかったせいだろうか。

 

「政党」というのは、國を治めてゆくことについて、同じ意見をもっている人があつまってこしらえた團体のことです。みなさんは、社会党民主党自由党、國民協同党、共産党などという名前を、きいているでしょう。これらはみな政党です。政党は、國会の議員だけでこしらえているものではありません。政党からでている議員は、政党をこしらえている人の一部だけです。ですから、一つの政党があるということは、國の中に、それと同じ意見をもった人が、そうとうおゝぜいいるということになるのです。
挿絵9
 政党には、國を治めてゆくについてのきまった意見があって、これを國民に知らせています。國民の意見は、人によってずいぶんちがいますが、大きく分けてみると、この政党の意見のどれかになるのです。つまり政党は、國民ぜんたいが、國を治めてゆくについてもっている意見を、大きく色分けにしたものといってもよいのです。民主主義で國を治めてゆくには、國民ぜんたいが、みんな意見をはなしあって、きめてゆかなければなりません。政党がおたがいに國のことを議論しあうのはこのためです。
 日本には、この政党というものについて、まちがった考えがありました。それは、政党というものは、なんだか、國の中で、じぶんの意見をいいはっているいけないものだというような見方です。これはたいへんなまちがいです。民主主義のやりかたは、國の仕事について、國民が、おゝいに意見をはなしあってきめなければならないのですから、政党が爭うのは、けっしてけんかではありません。民主主義でやれば、かならず政党というものができるのです。また、政党がいるのです。政党はいくつあってもよいのです。政党の数だけ、國民の意見が、大きく分かれていると思えばよいのです。ドイツやイタリアでは政党をむりに一つにまとめてしまい、また日本でも、政党をやめてしまったことがありました。その結果はどうなりましたか。國民の意見が自由にきかれなくなって、個人の権利がふみにじられ、とう/\おそろしい戰爭をはじめるようになったではありませんか。
 國会の選挙のあるごとに、政党は、じぶんの團体から議員の候補者を出し、またじぶんの意見を國民に知らせて、國会でなるべくたくさんの議員をえようとします。衆議院は、参議院よりも大きな力をもっていますから、衆議院でいちばん多く議員を、じぶんの政党から出すことが必要です。それで衆議院の選挙は、政党にとっていちばん大事なことです。國民は、この政党の意見をよくしらべて、じぶんのよいと思う政党の候補者に投票すれば、じぶんの意見が、政党をとおして國会にとどくことになります。
 どの政党にもはいっていない人が、候補者になっていることもあります。國民は、このような候補者に投票することも、もちろん自由です。しかし政党には、きまった意見があり、それは國民に知らせてありますから、政党の候補者に投票をしておけば、その人が國会に出たときに、どういう意見をのべ、どういうふうにはたらくかということが、はっきりきまっています。もし政党の候補者でない人に投票したときは、その人が國会に出たとき、どういうようにはたらいてくれるかが、はっきりわからないふべんがあるのです。このようにして、選挙ごとに、衆議院に多くの議員をとった政党の意見で、國の仕事をやってゆくことになります。これは、いいかえれば、國民ぜんたいの中で、多いほうの意見で、國を治めてゆくことでもあります。
 みなさん、國民は、政党のことをよく知らなければなりません。じぶんのすきな政党にはいり、またじぶんたちですきな政党をつくるのは、國民の自由で、憲法は、これを「基本的人権」としてみとめています。だれもこれをさまたげることはできません。

(『あたらしい憲法のはなし』より)

 

『あたらしい憲法のはなし』は青空文庫で全文が読めます。

 文部省 あたらしい憲法のはなし