元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

「普通の人」の中で生きる

ここのところ、文章を書く余裕がなかった。それぞれは大した量ではないとはいえ三つの仕事を掛け持ちしているので。メインの仕事にはまだ慣れず、自分の要領の悪さに凹むことも多いが、仕事量自体は大したことがない。というか、暇な時間が多すぎて同僚との雑談タイムが苦痛。その場にいない人の悪口や若い職員への説教?イジリ?が多くて疲れる。空気が読めない私ですら「群れの中での序列争い」的なものをひしひしと感じる。

 

この居たたまれなさや苦痛は覚えがある。高校生の頃が、ちょうどこんな感じだった。偏差値50ちょっとの子が行く公立普通科高校。実質的に就職クラスと進学クラスがあって、国公立大進学組は「頭が良い人」扱い。こういう言い方は語弊があるかもしれないが「普通の人」の世界。異質なものに不寛容。居場所がなく辛かった。

 

私は特に診断は受けておらず「障害者」ではないが、何かと難がある人間だ。「おもしろい」「変わってる」「おかしい」「普通じゃない」と言われ続けて生きてきた。

 

今は、長年の経験から得た知恵で、まずは自分のポンコツ具合や変わり者加減を程よくアピールした上で、低姿勢で教えを請う、素直に謝る、感謝する、どんな仕事でも絶対に手を抜かないを徹底している。その結果プラス現在の属性(同僚らと同じ中高年主婦である)から、あからさまに嫌な目に合うことは少ない。そこは高校生の頃と大きく違うところだ。

 

高校生の頃は「普通の人」が羨ましかった。自分もその仲間に入りたかった。今は「普通の人」が羨ましくないし仲間に入りたいとも思わない。気持ち良く仕事ができればそれだけで良い。どうでも良い瑣末な人間関係の問題であーだこーだと悩み神経をすり減らす様子を見ると、「普通の人」は大変だなとすら思う。「群れの中での自分の立ち位置」をひたすら気にかけ続ける人生ってきつそう。(余談だが、ネットでは、発達障害者が「普通の人」を羨ましがる記事をよく見る。でも、それは「普通の人」じゃなくて「超優秀な人」なんじゃないの?と思うことが多い。)

 

六月に働き出した頃、自分のことを「虫のように生きている」と書いた。

虫のように生きている - 元活字中毒主婦の身辺雑記

そのことに喜びを感じる、と。「普通の人」は自然に無自覚に虫のように生きている。「難しいことは頭が良い人が考えて欲しい」というのが彼らの口癖だ。それに馴染めない私は生き物としてポンコツなのだろう。

 

何事も成し遂げず、虫のように生きることも上手くできない私だが、頭が悪いなりに色々考え試行錯誤しながら、寿命がくるまでは人生を楽しむつもりだ。

 

 

フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし

フレデリック―ちょっとかわったのねずみのはなし

  • 作者:レオ・レオニ
  • 出版社/メーカー: 好学社
  • 発売日: 1969/04/01
  • メディア: 大型本
 

仲間が忙しく働く中、ただぶらぶらと過ごしているフレデリック。でも冬が来ると…。昔、この話のフレデリックのようになりたかった。普通じゃないけど特別な才能があって周囲に認められる存在。でも年を取って読み直すと、この話は、「一見役に立たない存在も許容して、その異質さを愉しむ人々(人じゃないけど)」の話にも思える。

 

追記

普通じゃない人間が普通の人の中で生き抜くコツ、もう一つ書き忘れてた。理不尽な目に合ったら、軽くで良いから反撃すること。小さいジャブを繰り出しておかないと、どこまでもやられる。

 

ある同僚の、若手へのイジリが酷すぎていらいらしたので「何の話題からでも川の流れのようにお説教になりますね。」ってにっこり笑って言ったら、みんなにウケて「川の流れのように説教」というフレーズが出るor出そう→イジリ終了って流れが定着したんだよ〜と夫に話したら「それ軽いジャブやないやろ。…いつまで持つかなあ」と不安がってた。大丈夫。私打たれ強いので。周囲が私に耐えられなくなるかもしれんけど。