元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

もやもやした気持ちをどう消化するか

ちょっと前、上野千鶴子氏の東大入学式での祝辞が話題になった。絶賛の声が大きくてもやもやしたので、ついコメントしてしまった。でも、自分自身と直接関係ないことに中途半端にかかわるのは無益なのかも。コメントすることを「かかわる」というのはおおげさだろうか。でも、「名前を出してリスクをとっている上野氏に対して半匿名で物を言うのは卑怯」というコメントを見ると、そんなこと言われたら黙るしかないと思う。いや、もう言うこともないが。

 

一般人が、その無名性をどこまで利用?していいのか分からない。その件について、「最後までかかわる覚悟」があるのか、と自問すると、気軽に感想や意見を表明しづらくなる。とはいえ、一方的な意見や感想だけがずらっと並ぶのは気持ち悪い。様々な人の声を知りたい。え? と思った時に気軽にコメントできる場は貴重だ。

 

別件だが、「ヒモを養う気はねえんだよ」的なコメントが炎上しているのをみて、(そこまで燃やすほどのことか)と思った。マッチョな思考の人だなあとは思ったし、この手の「喧嘩上等」なコメントは嫌いだ。しかし、こういう炎上を見ると、特に社会的な記事についてコメントすることをためらってしまう。

 

今回の祝辞の件は、途中から意識して見ないようにしていた。自分が興味があり労力を割くだけの価値がある、と思うこと以外は視界から遠ざけるしかないのかなと思っている。

 

上野千鶴子著『マザコン少年の末路』の記述をめぐって

上野千鶴子著『マザコン少年の末路』の記述をめぐって

 

 

コメント欄を見ていて、(そういえば昔、話題になっていたな)と思い出した。これは当事者が相当な労力をかけて議論をした成果なのだろう。読んでみる。

 

*おまけ*

検索していて見つけたサイトと記事

 

「ちびくろさんぼのちいさいおうち」https://genpaku.org/sambo/index.html)

 

上野千鶴子「『マザコン少年の末路』の末路」から、「差別的表現を含む出版物」をめぐる問題、そして著者・編集者・出版社の対応を考える(「ちびくろさんぼのちいさいおうち」)