元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

学校のルールと私と弟と娘の思い出

『中学校の「生活ルール」がクソ』っていう記事を読んで思い出したので。どうでもいいけど、二重括弧の使い方ってこうだっけ? 括弧の中が二重括弧だったような。どうでもいいけど。

 

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私の出身中学は、生徒自治に力を入れていました。生徒総会でも活発な意見の交換があり、学校の規則も自分たちで決めている、という自負がありました。教師の手のひらの上で踊っていただけかもしれないけれど。校則もそれほど煩雑ではなかったです。校則違反で注意された記憶もありません。私は、生徒会委員で、一見「そこそこの優等生で大人しい子」でした。

 

一方、三つ下の弟は、他校の悪童にも名前が知られているようなやんちゃな子でした。「盗んだバイクで走り出す」ことはありませんでしたが、放置されていた壊れたバイクに跨って学校前の長い坂道を何度もすべり降りて遊び、教師から殴られたりしていました。彼が「名札を忘れて(曲がっていて、かも)注意されたのに態度が悪かった」という理由で、教師からぼこぼこに殴られた時は、「うちの子も悪いが、そんな些細なことでここまで殴るのか」と母が学校に抗議していましたっけ。

 

弟が何年生の時だったか、入学時の制服が小さくなって買い直さなくてはいけなくなりました。うちの母は、必要以上に「うちは貧乏」という人でした。そのせいか、弟が「近くのブティックのほうが、学校指定の制服より安いから、そこで買う」といいだしました。買ってきた制服は、特に指定の制服と違うところはありませんでした。ただ、裏地の色が違っているだけ。それも特別派手な色ではありませんでした。

 

ところが、学校から「違反の制服だから買い直してこい」と言われたのです。母が父に相談すると「はあ? どこが違うんや。教師が業者からリベートでももらっとるんかな。俺が学校に電話する」……まずいことになった……父が学校に怒鳴り込んだりしたらどうしよう、弟がかわいそうだ、とびくびくしたのですが、実際に電話をしているのを聞いていると、冷静に丁寧に話をしていて、リベートの話なども出さず、ほっとしました。(お父さんは外では普通の大人なんだ、ちゃんと話ができるんだ)と感心したくらいです。

 

しかし、学校側にとっては「学校の判断に意見してくる親」なんて、とんでもない存在だったようです。このあとすぐ、父は同僚から「知人の教師から ”**さんってどういう人?” って聞かれたから ”ちゃんとした常識ある人だよ” と答えておいたから」といわれたそうです。(どんな人間なのかさぐりをいれたんだ、学校の先生って、意見されるのに慣れてなくて、びくつきやすいんだ)と思いました。

 

この後、制服を買い直したかどうかは忘れました。この件以来、弟はわりとおとなしくなりました。「こいつの親は要注意って先生が思っているのが伝わってくるんやもん。おとなしくもなるわ」と言うので、(案外、ナイーブなんだ)とおかしかったです。

 

母の「うちは貧乏」はその後も健在で、私も高校の制服は、洗い替えに知人のお下がりをもらいました。上着が短くスカートが長く、一見して「これ、違反制服でしょ」と分かるもの。案の定、服装検査でひっかかりましたが「家が貧しく新品は買えません。これは母の知人からいただいたもので、私は何も手を加えてません」というと、その後は何も言われなかったので、堂々と着てました。

 

自分と弟の経験から、学校のルールなんていいかげんな運用がされているものだと思います。とはいえ、黙っていると、煩雑になったり、おかしなルール、運用が増えていきがちです。どの程度の労力を払うかは個人の自由ですが、自分が苦しい、おかしいと思った時は声をあげたり、場合によってはその場から逃げることも大切だと思います。

 

給食番長 (給食番長シリーズ)

給食番長 (給食番長シリーズ)

 

 

弟は、給食が大好きでした。「お母さんも給食みたいな美味しい料理作って!」と母に言っていたそうです。一方、私は給食大嫌い。黒板の下に正座させられ、掃除の時間が来ても、埃責めになりながら食べていました。

 

食べるのが遅く少食だった娘も、給食は苦手でした。小学校のある学年の時、担任の教師が何にでも「班単位でメダル授与」を導入していて、「班全員が完食したらメダルあげる」となっていたため、娘が学校に行けなくなったことがあります。娘には「学校はいろんなことの練習の場だから、具合悪くなってまで行かなくていい。でも練習してみようと思える日は行ってみて」と言っていました。

 

教師に「先生の方針は尊重するので、メダル方式をやめてくれとは言わない。でも、娘に無理させる気はない。行きたがらない日は休ませます」というと「えっ」と言われて、こっちも「えっ」となりました。娘はしばらくの間、ちょくちょく休んでいましたが、そのうち要領が飲み込めてきたのか、開き直れたのか、毎日通学するようになりました。ちなみに、メダル方式は、生徒がお互いのダメなところを先生に告げ口し合うようになって崩壊したそうです。

 

*余談*

そういや、大学の寮則に「寮母さんのことをおばさまと呼ぶ」というのがありました。ええっ?っと二度見したけど、しっかり明文化されてました。ちゃんと「おばさま」と呼んでましたよ。呼び名にふさわしい上品な初老のご婦人でした。

(↓あんまり中身ない日記。寮の思い出)

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