連載が始まった時に話題になってて(おもしろそうだし読んでみようか)と思ったまま、その時に公開されていた数話を読んだきり。忘れていたら、こちらで紹介されていたので思い出しました。
それで全話いっぺんに読んだのですが。45話に出てくる「「普通の人なんて この世に一人もいないんだよ ただの一人も いないんだよ 存在しないまぼろしを 幸福の鍵だなんて思ってはいけないよ」って言葉に、心から共感。
このブログでも何度か書いているとおり、私は特に障害者として認定されてはいないけれど、生きていくのは大変だなあと思いながらここまでやってきました。若い頃は「普通の人」はいいよな〜と思ったこともありました。でも、この年になってみると「普通の人」なんていないことがよくわかる。長年の経験から。実感として。はてなのブログやコメントを読んでいると「普通の人」に過剰に憧れたり、反感や嫉妬を持ってるのかなと思う人がけっこういて、そういう人をみるともどかしい気持ちになる。いや、あなたが想定している「普通の人」は普通じゃないから。スーパーマンだから。みたいなことも多いし。
ここまで書いてみて(そっか。そういうコメントや記事を書く人は周囲に特別優秀な人が多い環境で生きているのかもしれないな)と思いました。「普通」のレベルが、私の考えてるレベルとは違うのかもしれない。だとすると的外れなのかな。でも、そういう場合だって「普通の人」への執着はなんの益もないですが。
*このあと、作品の感想ですが、思い切り展開や結末に言及してます*
読書日記なのに、作品から離れてしまった。作品自体は、少し期待はずれ。なによりも、主人公に「特別な才能」を持たせるのはやめて欲しかった。詩を書き出してすぐに才能を認められるって、現実にはほとんどないので、絵空事感が半端ない。人に認められなくても詩作を続けることが自分の支えになる、とかじゃダメだったのかな。平凡な日常をどう生きていくかを描いて欲しかった。恋人との出会いと別れも、ありがちというかあっけない。簡単に別れてしまうんだと残念でした。大好きだけれど相容れないところがある相手とどう付き合っていくか、その葛藤がもっと読みたかったです。「ダルダル星人」だらけの職場にすんなり転職するのも安直で、浅い印象を受けました。そういう環境に巡り会えるまでの紆余曲折とかはないのかな、と。とはいえ、これくらいの長さの作品できれいにまとめようとすると仕方ないのでしょう。もっと長いスパンで登場人物の人生を描いていくことができれば、また違ったものになったのかもしれません。
特別な才能はなくても、ちょっと変わってると人から思われても、飄々と生きていく「るきさん」が好き。
- 作者: 谷川俊太郎,佐野洋子,川村和夫,W・I・エリオット,WILLIAM I ELLIO
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2012/12/05
- メディア: 単行本
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「ダルちゃん」作品中の、恋人とのプライベートなことを発表するシーンで思い出したエピソード。佐野洋子が谷川俊太郎から、昔あげたラブレターを雑誌に発表してもいいかと聞かれたらしい。「今度持ってくる」と答えると、谷川は「大丈夫。コピーとってるから」と言ったとか。ちょっと笑った。ちなみに私は発表してほしくない派。それは「知人に知れるから」とかいう問題ではなくて「大切なことは公表したくない」から。(誰も聞いてない)
誰も聞いてないついでに書くと、上記のエピソードや寺山修司が亡くなった時のエピソードをひいて、佐野洋子は「谷川には”情”がない」と書いてました(非難してたわけじゃないです)。昔、その話を何気なく夫にして「それは違う。親友の死が悲しくないわけない。悼み方が佐野と谷川で違うだけ」と、かなりの剣幕で反論されて驚きました。今は、夫の言い分もわかります。
「ひばりのす」という詩を思い出したので。自分が見つけた大切なものを、誰にも言わないでいる気持ち。
* 追 記 ( 2018.10.21 ) *
ひばりのす 木下夕爾
ひばりのす
みつけた
まだたれも知らないあそこだ
水車小屋のわき
しんりょうしょの赤い屋根のみえる
あのむぎばたけだ小さいたまごが
五つならんでる
まだたれにもいわない