月曜日、朝から小学校で絵本を読んで帰ると、庭に舅が出ていました。「父さんがラティスが二枚残っているから使ったらって言ってたよ」という夫の言葉を思い出して声をかけたら、流れで一緒にラティスを設置することになってしまいました。ほとんど舅が作業をして私は助手をしただけですが。
正直いうと、夫からその話を聞いた時は、(なんで私に言うの? 自分ですれば。あなたの家でしょ)と思いました。
我が家を現在地に建てる際には、けっこうもめました。ちょっと思い出したくないくらい色々ありました。私が40代の大半を病んで過ごした直接の原因は別件ですが、遠因の一つは家の新築に伴ういざこざだと思ってます。現在、夫とも義両親とも特に関係は悪くありません。でも、それは「ここで外形的に妻や嫁として暮らすのは私の仕事」と割り切っているからです。そうしないと精神がもたないので。まあ相手も色々我慢しているとは思います。
子供二人が家を出たので、休日は夫婦二人です。洗い物をしながら台所のカウンター越しに、居間でくつろいでいる夫を眺めていたら「昔、この人のこと好きだったんだよなあ」と悲しいような懐かしいような変な気分になりました。
私は、自分の気持ちがよく分からない人間で、あとになって「あの時はきつかったんだ」「あの時は嬉しかったんだ」と気がつくことが多いです。自分が無理をしているとか限界がきてるとか渦中では分からない。そのくせ突然「えいやっ」と思い切った判断をしがち。そのせいで、この結婚は取り返しがつかないものになりました。
家って高価なものです。夫が稼いだお金のかなりの額はこの家に消えました。そこに住む妻が「ここは私の家じゃない」って思うのは夫にとって不幸なことだと思います。世の中の多くの人が結婚したがるのが私にはよくわかりませんが、新婚の方々には「些細なことでもその度にしっかり話し合ってお互い納得しながら二人の暮らしを作っていく」ことを強くお勧めします。それは相当に面倒で疲れることだけど、適当に流していくと後からしっぺ返しがきます。
私の家じゃないのに、舅とラティスをたてました。ジューンベリーの木が枯れかければ心配し、朝顔の種はいつ頃蒔くんだっけと考えます。外壁も一度塗っただけでほったらかしているので近いうちにもう一度塗らなくてはと思っています。今日は私のほうが仕事が遅いから先にごはん済ませておいてね、野菜も切っとくからちゃんと食べてね、と出勤する夫に声をかけます。この暮らしや気持ちはなんだろう。今はよく分からなくて後になったら「あの時は気がつかなかったけど」って分かるのかな。
小学校で読んできました。ちょっと怖い?
読んで元気だそう。