弟がもうすぐ海外に行ってしまうので、その前に顔を見ておこうと思って実家に行きました。母は留守だったので、二人で天麩羅屋に行ってきました。弟と二人きりで外にごはんを食べに行くのはたぶん生涯三度目です。
初めての時は、たしか私が中学生か小学校高学年、三つ下の弟は確実にまだ小学生でした。なぜ二人きりでごはんを食べることになったのかは覚えていません。長期休暇中に祖父母の家へ子供だけで泊まりに行くことはよくあったので、もしかしたらその帰りか行きに寄ったのかも。家からバスで小一時間の繁華街にあるデパートの大食堂。他のテーブルは全部埋まっているのに、一人のおじさんが座っているテーブルだけは他に誰もいませんでした。六人か八人掛けのテーブルだったので、「ここ座ってもいいですか?」と聞いたら、ちょっとびっくりしたような表情をしたあと笑顔で「ああ、ええよ」
いま、何歳なのかとか、どこから来たのかとか、時々話しかけてくるおじさんと話しながら食事を終えました。それじゃあ、と立つと、にこにこしながら「おお、またな。おじさんの事務所はすぐそこやけん、いつでも遊びにおいで」と言われました。
それでようやくわかったんだけど、おじさんはヤクザだった。お店の人がすごく丁寧な応対してたから(元コックさんとかかなあ)と思ったけど違った。もちろん事務所には遊びに行きませんでした。「修羅の国」北九州、黒崎井筒屋百貨店での思い出です。あの頃、黒崎の街はいつも人でごったがえしていましたが、いまはアーケードも取り払われてすっかり寂れているらしくさびしい限りです。
二度目のときは、もう少し大きくなってから。でもまだ二人とも未成年でした。留守番をしていたらお腹がすいて、そうだ!寿司屋に行ってみようと思いつきました。鮨は出前で取ったことはあってもお店で食べたことはありませんでした。わくわくしながら家から歩いて十分の鮨屋にいきました。父親が帰ってきて「何食べた?」と聞くので「握りを一人前ずつ食べた」と言ったら「貧乏人の子供が食べに来たって思われたやろうな」と笑われて(笑われるような食べ方なのかな??)ととまどったっけ。
修羅の国、修羅の国と揶揄される北九州市ですが、今から行く国の治安の悪さはこんなものではないだろうし、姉としてはかなり心配です。向こうで元気にやってくれること、無事に帰ってくることを願ってます。
以前このブログにも書いた「日本短編文学全集」の中に岡本かの子の「鮨」という作品が収録されていました。「きれいだけど悲しい話やね」というと父が「は? どこが悲しいんか。いい話やないか」とことさらにいうのでイラッとした記憶があります(笑)そういや、芥川龍之介の「雛」が好き、というと「お前にこの話がわかるわけない」とせせら笑われたこともある。めっちゃむかつく〜。まあそんな記憶もいい思い出......ではないけれど、なんか父らしいなあと苦笑いする気持ちになるし懐かしいような気もします。