元活字中毒主婦の身辺雑記

日常の細々したことなど。

初仕事とか正月のこととか

朝8時から、今年最初の仕事をしてきました。ベッドで寝ていらっしゃるのを起こしてトイレ介助、洗面後に更衣、車椅子で台所まで移動して終了。いつもはお一人暮しですが、今日は息子さんが帰省されていて、私が着替えをお手伝いしている間、台所で朝ご飯を作っていらっしゃいました。たった30分の仕事ですが、正月休みモードから通常モードに切り替わった気がします。今日は、数年ぶりに帰省した義弟も暮れに東京から帰ってきた息子も、それぞれ帰っていきます。正直、息子にはしばらく休学してゆっくりしてもらいたいのだけれど。どうしても大学に通うといいはります。二月の中旬には試験が終わり春休みが始まるので、それまではまた、ちょくちょく上京して様子を見るしかないのかな。

 

今年の元旦は久しぶりに母の実家に顔を出し、百歳を過ぎた祖母に会ってきました。祖母の子供は全部で六人。そのうち母を含めて五人が健在です。今は一番上の叔父と一緒に住んでいます。「おばあちゃん、あけましておめでとう」というと「よく来たねえ。私は目もよう見えんごとなって。だれがだれかわからん。もう人間終了よ」身振り手振りを交えながら昔と変らずはきはきとした明るい声で話すので、叔父や母、帰省していた従弟達がみな「まあだまだ終了はせんやろ」と笑いました。

 

子供の頃は、この家に正月ごとに集まっていました。博多風の雑煮と泡雪かんを楽しみにしていました。台所で母や叔母達が「目に沁みる〜」といいながら芥子レンコンを作ったり揚げ物をしていました。みんなで料理を食べてお年玉をもらったあとは、大人達がお座敷で話しこんでいる隅で本棚の本をひっぱりだして読みふけったり、年が離れた従弟妹達が貰ったばかりのおもちゃで遊んでいるのを眺めて過ごしました。弟がサンダーバード基地をもらって大喜びしていたのを覚えています。賑やかで明るい空気が漂っていて本当に楽しかった。

 

しばらく椅子に座ってみんなの声かけに応えた祖母のことを「今日お母さんは大サービスだったなあ」と叔父がいっていました。もう祖母は一日のほとんどを寝て過ごしているそうです。叔父や叔母も年を取りました。従兄弟姉妹も独立しそれぞれのお正月を過ごしていると思います。皆がいっせいに集まることはなくなりました。祖母や叔母達お手製の料理の数々もありません。でも明るい空気は変りませんでした。祖母は幸せだな、と思いました。

 

さて、私の家でのお正月はというと。大晦日の夕方は舅姑、義妹一家と一緒に例年通り年越し蕎麦を外に食べに行きました。帰宅したら私はお昼に引き続き料理の準備。海老フライやブリの照り焼き、豚の紅茶煮は「ちょっとつまんでいい?」と重箱に詰める前に少しだけ父や夫、義妹の夫君の酒のつまみに。お雑煮は姑が作ってくれますが今年は下ごしらえや段取りがおぼつかなくなっていて義妹がフォローしてくれました。重箱に詰めるのは数年前から姪っ子と娘が手伝っています。今年は姪っ子は受験生で顔を出せず。義妹と娘がしてくれました。義妹一家は近くのお寺で除夜の鐘をついて帰っていきました。数年ぶりに義弟が二日に帰ってくるというのでメインイベント?は二日ということに。元旦は我が家と舅姑で朝をいただき、そのあとは私の実家へ。息子は留守番をしたので夫は昼過ぎには帰りました。娘と私は夕方6時過ぎに帰宅。実家からもらってきた料理で夕ご飯。

 

二日の昼過ぎに義弟到着。子供三人が揃って舅姑はにこにこでした。息子が顔を出せるか心配しましたが、それほど抵抗無く座って一緒にお節やお雑煮が食べられました。台所で義妹と洗い物をしながらいろいろ話していて、こうやってみんなで過ごすお正月はあとどれくらいあるのかなと思いました。子供達が(子供の頃のお正月は楽しかったなあ)と思い出してくれるといいのだけれど。